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山口地方裁判所 昭和34年(わ)242号 判決 1959年10月06日

被告人 姜学竜

大一〇・六・四生 無職

主文

被告人を懲役弐年六月に処する。

未決勾留日数中七〇日を右刑に算入する。

本件公訴事実中外国人登録法違反の点は無罪。

理由

(罪となる事実)

被告人は

第一、昭和三三年一二月一九日午前一一時頃山口市中市マーケット内岩永履物店内において、中尾利国所有の手提鞄一個(届出時価約一、二〇〇円相当)を窃取し

第二、同三四年一月二七日午後三時頃山口市湯田湯屋町加藤酒店前路上において、駐車中の小型貨物自動車運転台に置いてあつた株式会社弘中食料品店(社長弘中岩七)所有の現金約一九四、〇〇〇円及び小切手金券等約三九点在中の書類鞄一個を窃取し

第三、同三四年四月二〇日午後〇時三〇分頃山口市今市山口薬局前附近路上において、自転車に乗り銀行より帰社中の東亜工業合資会社々員設楽徳治を背後より自転車で追い越しざま右自転車荷台に積んであつた右会社(社長笠原一彦)所有の現金約四四二、七五〇円在中の風呂敷一個を窃取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

刑法第二三五条第四五条前段第四七条本文第一〇条第二一条

(無罪)

外国人登録法違反の点の公訴事実の要旨は、被告人は同二二年春頃本邦に密入国した朝鮮に国籍を有する外国人であるが、同二二年五月二日から三〇日以内に居住地である山口市長に対し、同二二年五月二日施行勅令第二〇七号外国人登録令附則第二項の規定する所要事項の登録の申請をせず、現在に至るまで、居住地の市町村長に対し、同二七年四月二八日施行法律第一二五号外国人登録法第三条第一項所定の外国人登録証明書の交付を申請しないまま、引続き、不法に、本邦に在留したと言うのである。

被告人の当公廷での供述及び検察官に対する同三四年六月一一日、七月一五日、七月一七日付各供述調書、検察官の作成した電話聴取用紙、山口市長の作成した外国人登録申請の有無についてと題する書面二通及び外国人登録原票写、検察事務官の作成した入管登録管理官よりの電信訳文を合せ考えると次の事実を認めることができる。被告人は同二三年三月頃朝鮮から我国に渡り母や兄弟の住んでいた山口市に居住するに至つた。間もなく、外国人登録令(同二二年勅令第二〇七号)が公布施行され、被告人も朝鮮人として登録申請をしなければならないことを聞いたが、当時いわゆる闇商売で各地を往来し山口市にとどまることが少なかつたため、山口市所在朝鮮人連盟の書記をしていたいとこの金正洪に外国人登録手帳の交付手続を依頼した。その後しばらくたつて、母から、金正洪が留守宅に持参していた金鐘基名義の登録手帳を受取り本名と違つていることを知つたが、日常日本名を使つていて別に不便もなかつたのでどうしてそのような手帳になつたか金正洪に確めることまでしなかつた。しかし、その後は右手帳を所持している関係上朝鮮名を金鐘基と名乗り、数度にわたりそのまま登録書換をして現在に至つた。

金鐘基名義の最初の登録は同二二年七月二一日に行われ、その登録においては、本籍は慶尚南道固城郡巨柳面、生年月日は一九二一年六月二四日となつていた。登録切替は同二五年一月二一日、同二七年一一月一四日、同二九年一一月九日、同三一年一一月九日付でそれぞれ申請されたが、同二七年一一月一四日の切替時以後本籍は被告人の真実の本籍である慶常南道昌原郡熊南面徳亭里三八一番地とされている。(同二七年度の切替申請は被告人が受刑中であつた鳥取刑務所係官を通して行われたが本籍の変更手続の経過は不明である)

以上のとおり認められる。してみると、被告人は前記外国人登録令施行以来現在まで本名である姜学竜名義の登録申請をしていないことは争いないことであるが、外国人登録令施行当時登録手帳の交付申請を金正洪に依頼し、その結果同人より金鐘基名義の登録手帳を受取つたのであるから、すくなくとも登録申請の意思でその手続を依頼したものと認めなければならない。右手帳が金正洪により被告人のために、申請して交付をうけたものかどうか詳でないけれども、当時金鐘基なる者が実在して登録手帳の交付をうけていたことも、また、被告人が本名を秘して他人になりすまさなければならないような事情があつたことも、従つて被告人が金正洪にことさら他人名義の登録申請或いは登録済の他人名義の手帳の入手を依頼したことも、証拠上これを認めることができないし、右手帳に記載された生年月日が被告人の真実の生年月日に似ている等当時の諸般の事情を考え合すと、右手帳は金正洪が被告人の依頼にもとづき被告人に代つて登録の申請をし交付をうけたものであるが、唯何らかの手違いで誤つた登録がなされたものと見るほかない。もつとも、当時においても、登録申請は本人が出頭してするたてまえであつたと思われるが、未だ写真の貼布も要求されていなかつたし、且つ登録制度発足間もない頃のことであるから本人の確認もそれ程厳格に行われていたとも思えないから、朝鮮人連盟に関係していた金正洪により何らかの方法で交付申請がされたと認めて差支えない。しかも、金鐘基名義のままではあるが、その後現在まで四回にわたり登録書換の手続を滞りなく済ませ、既に十数年の歳月を経過している。そうすると、被告人は、たとい本名ではないにしても金鐘基という仮名で所定の登録手続を経ていると見ることが極めて自然であり、外国人登録令施行以来全く登録の申請をしていないということにはならないと考える。検察官主張のように、若し被告人が金鐘基という他人の手帳を不正に入手し同人になりすましたうえ書換申請を繰返していたのであれば、自己の登録証明書の交付申請を仮名でも本名でもついにしていないものとしてなお登録不申請罪に当る場合もあると考えるが、本件は右の場合と事情を異にしているから、被告人が前記書換申請に当り虚偽の申請をしたことについて責を問われることは別として(その点は本件と公訴事実を異にし訴因の変更は許されない)登録不申請罪には当らないといわなければならない。それ故前記公訴事実は犯罪の証明が充分でないから刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 五十部一夫)

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